セントラル短資の歴史について
短資会社の歴史は古く、明治時代の中期ごろから東京・大阪・名古屋の大都市が金融中心地としての地位を確立する過程で短資会社は誕生しています。
明治30年(1897)頃から短期金融市場/コール市場の必要性が認識され、金融市場のブローカーとして短資会社が相次ぎ設立されました。
「セントラル短資」の前身の一つである「山根短資」は「山根ビルブローカー」として明治42年(1909)に営業を開始しました。
このビルブローカーとは当時世界の金融市場の中心地であったロンドン金融市場のビルブローカーを模したものだそうです。
また「山根短資」とは別に「日本割引短資」は昭和31年(1956)に、「名古屋短資」は昭和38年(1963)に創業されました。
その後は変化の激しい日本の金融市場に対応するためこれらの3社は合併し、セントラル短資が設立されました。
現在セントラル短資はリーディングブローカーとしてインターバンク市場で大きな役割を果たしています。
ブローカーとは、「株の売買注文などを取り次ぐ役割の人」のことです。
例えば、上場株は原則として市場で取引する決まりになっているが、市場に売買注文を出す場合には証券会社を仲介させることになっています。
つまり、証券会社はブローカーの役割をしているわけです。
英語では証券会社のことをストック・ブローカーなどと言います。